ボランティアに伺いました

H30年3月
「誰でもヒーロー」ご協力の元、フィリピンの超貧困地区に訪問させていただきました。
フィリピンでは、日本でいう、中間層とよばれる人がほとんど皆無で、富裕層、貧困層、超貧困層に分けられるそうです。
この中の子供たちは。学校に行けない人がほとんどです。家もない子供達もたくさんいます。そのような中、WTA(ワールドトレードアカデミー)の皆様と、お菓子を子供たちに配りました。我々が伺う事を聞いていたようで、到着しましたら、行列で出迎えてくださいました。
誰でもヒーロー(日本で行っているボランティア活動です。詳しく知りたい方はクリック。)
内山さんです。ボランティア活動でフィリピンに5年滞在しています。
(現在婚活中との事です(笑))



この地区はトイレ等、水洗ではなく、その辺にしてしまう方も多く、ハエや蚊も多く不衛生です。

デング熱などの感染症もある地域で、私も4か所くらい蚊に刺されてしまい、ヒヤッとしましたが、感染せずに帰国出来ました。

野良犬も多く、狂犬病のリスクもある地域です。

また、電気もしっかりと通っていない為、電線から不正に電気を引っ張り、漏電し火災が多いと聞きます。

一年くらい前も、大規模な火災があったそうです。

誰でもヒーローが運営している学校に訪問させて頂きました。この子達ほとんどが両親がいません。親が麻薬中毒でいなくなったり、育児を放棄してしまった子供達です。

フィリピンの政治・社会を変えるには、貧困層出身で良い政治家が出てくるしか改善方法が無いらしく、誰でもヒーローでは、そういった社会を変えられる様な人材を育成しております。

この学校を卒業するのにかかる費用が、1人あたり15万円だそうです。我々も、5人で伺った為、3万円づつ寄付、合計15万円させて頂きました。

今後も、在宅マッサージひまわりでの売り上げの一部を寄付していきたいと考えております。

福島県南相馬市でのボランティア

福島県南相馬市でのボランティア
H26年7月27日
NPO鍼灸マッサージ師協会の皆様と、南相馬市にボランティアにお伺い致しました。
南相馬市は、津波の被害よりも、原発の被害が大きく、家があっても帰る事が出来ないそうです。

長い仮設住宅の生活を強いられ、旦那様が昨年、仮設住宅にて亡くなられたそうです。
 「最後まで、家に帰る事が出来なかった。」と、話しておりました。

飯館村付近では、除染の為、あちこちに除染作業中の札が立ち、汚染された土が大量に積んでありました。

そのような中、仮設住宅内に絆診療所を開設された、遠藤医師にもお会いすることが出来ました。地元の方たちは、遠藤先生の存在がとても大きいと、話しておりました。

遠藤先生は、震災直後まで、南相馬市立病院の院長をしておりました。
定年退職後は、医師の仕事をやめ、飯館村に喫茶店をのんびり経営するのが夢だったそうです。

しかし、震災後、地元の方々の強い希望に応えるため、喫茶店経営を考えていたお金で、仮設住宅内に診療所を開設されたそうです。


宮城県石巻市でのボランティア

H25年9月22日
 NPO鍼灸・マッサージ師会の皆様と石巻市にある仮設住宅にボランティアにお伺い致しました。
 たまたま、前回と同じ仮設住宅の担当になり、前回施術した方々に再会することが出来ました。
 
 5月にお伺いした際、妊婦さんだった方が無事にご出産されており、とても嬉しく思いました。

H25年5月26日
NPO鍼灸・マッサージ師会の皆様と石巻市にボランティアにお伺い致しました。石巻市日和山公園から見える景色です。
津波の際、地元の方々が避難された高台です。街は、がれきの処理がひと段落ついたようで、きれいになっておりました。津波の前は、家が立ち並んでいました。
石巻市にある、仮設住宅です。こちらの地区では、100世帯ほどが未だ仮設住宅での生活をされております。家を津波で流され、土地があっても、建物を建てる事が出来ないそうです。また、賃貸のマンションも希望者でいっぱいとの事です。
料理屋を営んでいたそうですが、お店も家もすべて津波で流されてしまったそうです。新しいお店をOPENさせたいそうですが、街の復興の見通しが読めず、悩んでいるそうです。
歩行困難の為、仮設住宅からほとんど出ることが出来なくなり、引きこもりがちとの事。津波で辛かったこと思い出すと、今でも涙が止まらなくなります。マッサージをとても喜んで下さり、来てよかったと心から思いました。

H25年9月25日
今回、石巻市にボランティアに伺ったNPO鍼灸マッサージ師の皆様です。3組に分かれ、3か所の仮設住宅にお伺い致しました。

埼玉県加須市でのボランティア
平成24年9月16日、埼玉県加須市(旧騎西高校)に、NPO鍼灸マッサージ師会のみなさんと、ボランティアに伺ってきました。未だ、200名近くの方々が被災されております。

双葉町のご自宅には、震災から5回程バスで帰ったそうです。長時間の滞在は出来ず、家などは震災前とあまり変わりがないそうですが、放射線の線量計をあてると強く反応するそうです。
平成24年4月15日、埼玉県の加須市、(旧騎西高校)に、NPO鍼灸マッサージ師協会の皆さんと、ボランティアに伺って来ました。
廃校になった高校に、福島県双葉町から被災されてこられた方が今でも400名程いらっしゃいます。震災直後は1800名ほどいらっしゃたそうです。少しづつ新しい住居が見つかった方もいれば、いまだに廃校で過ごされている方も、たくさんいらっしゃいます。
震災後はボラティア団体がたくさん来ておりましたが、一年がたち、撤退するボランティア団体が多くなってきた。と、被災されている方がおっしゃておりました。
気仙沼でのボランティア

まず始めに、このたびの震災で被害にあわれた方々にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

東日本大震災後、自分に少しでも出来る事はないかと思い、社会福祉協議会を通して、5月3~5日、マッサージのボランティアに伺ってきました。町の被害は想像を絶する状況で、仮設住宅の建設もなかなか進んでいないのが現状です。ただ、避難所にいらした方々は、
「復旧に協力して下さる、国を始めとする皆様に、とても感謝している。」
と、話しておられました。

ボランティアに参加して、人間、一人の力はとても小さい、と無力感を感じました。しかし同時に、皆で協力し合えば、大きな力になるのではないかとも感じました。そのため、このページを作成し、皆さんに被災地に方々の話を少しでもお伝えしたいと考えました。
また、現地の方たちの中には、「今、自分たちが置かれている状況を、たくさんの人に知ってほしい」と、話される方もいらっしゃいました。

今の私にできる事は、ボランティアを通して知った、津波の酷さや、財産をすべてなくして、今も避難所生活を余儀なくされている方々のことを、少しでも多くの方に伝えることではないかと思いました。
そして知って頂くことで、皆で協力し合い、一人一人が出来る事をやっていくことだと感じました。


義援金もまだまだ足りていない状況です。
経済が悪化してしまう為、買い控える必要はないと思います。
ただ、買い物をしておつりが出た時は、レジの横の募金箱に、少しでも募金するようにしてみませんか?(私もこれは行ないたいと思っています)小さなことでも、皆の力が集まれば、きっと大きな力になるはずです。
(ただ、義援金詐欺等もあるようですので、変な所には募金しないよう気をつけてください)

 マッサージのボランティアに伺って、皆さんに本当に喜んで頂けたので、「行って良かった」と心から思いました。
帰り際、「一日でも早く復旧・復興が出来ますように」と。願を込めて、皆さんと握手して埼玉に帰ってきました。

 最後になりましたが、避難所の方々にはこの状況を皆様にお伝えすることに許可を頂いた上で、掲載していおります。

(平成23年5月6日)

気仙沼市でのボランティア

宮城県気仙沼市にある、「海蔵寺」
というお寺に被災されている方々のところにボランティア先が決まりました。

津波の被害は、お寺のわずか数十メートル先まで来ていました。

海蔵寺に行く曲がり角のローソンです。

カーナビには「ローソン」となっていましたが、津波の被害でこの様になっており、通りすぎてしまいました。
5月3日のマッサージ初日は、13時に伺うはずが、東北道のひどい渋滞で、出発から12時間後の、17時の到着となってしまいました。
それでも、
「マッサージのボランティアが来ると聞いて、朝から楽しみにしていたのよ」と言って下さる方もいらっしゃいました。
なんだか、こちらが元気をもらえた一言でした。

津波から、着の身着のまま逃げ、高台に登り何とか助かったのだそうです。
海に流れたオイルやガソリンが引火し、海の上が真っ赤な炎に包まれ、さらに山に燃え広がり。山火事が起ったそうです。
 そして、津波に子供が二人流されているのを、数人でなんとか助けたそうです。
津波の日は、まだ雪が降っていて、子供は「寒い、寒い」と震えていたのだそうです。

ご主人と、お蕎麦屋さんを経営されていたそうですが、お店が全て津波に流されてしまったそうです。
その後、自分のお店が海の上に流されているのを発見した時は、
「何も言葉にならなかった・・・」
と話されておりました。
津波の後、ほこりがひどく、今まで咳などの症状はなかったのに、今では常に咳こむようになってしまったそうです。
お孫さんが、「ゲームを取りに戻る」と言ったのを、必死で止めたそうです。

もしも止めていなければ、津波にのまれていたと話されていました。
ちくわや、かまぼこなど、魚の加工業をされていたそうですが、工場も家も全てなくなってしまったそうです。

今は、仮設住宅が出来るの待っているのだそうです。
持病をおもちとのことです。
数日分の薬だけを持ち、なんとか津波から逃げたそうです。

漢方薬の薬局を経営されていた、薬剤師さんです。
お店も、大事な漢方薬も、売上金も、全て津波に流されてしまったそうです。
足まで津波につかりながら、何とか逃げたそうです。
「もしも逃げるのが、あと10秒遅かったら、死んでいた」
と話されていました。

農業(お米作り)を営んでいたそうですが、田んぼは家や車、がれき、ガラスの破片などが流されたおり、また潮の被害もあり、復興は難しいと、話しておられました。
先程の写真のローソンの近くに住んでいらしゃったそうです。ご自宅と車3台、全て流されてしまったそうです。

車は、3台とも高台に移動したそうですが、津波の勢いは予想をはるかに上回り、流されてしまったそうです。また、「屋根の上に人が乗ったまま流されている家を見たけれど、どうすることもできなかった」

と、辛そうな表情で話して下さいました。津波が引き、自宅があったところに戻った時、普段は見えない遠くのガソリンスタンドが見えた時は、呆然としたそうです。

津波警報は、この地区にはよくあることで、「またいつものことか」と、始めは逃げなかったそうです。

その後、6メートルを超える津波が来る事を知り、何も持たずに慌てて高台に避難したと話して下さいました。実際には、10メートルを超える津波が来たそうです。

気仙沼の海です。
とても穏やかな海でした。

これだけの被害を出しておいて、今はこんなにおとなしい顔をしている海が、なんだか信じられない気持になりました。

あちこちに流された家や車があります。
塩の影響なのか、辺りには匂いが立ち込めていました。

津波の時、車で避難した人が多かったそうです。
そのため、道路が渋滞してしまい、そのまま津波にのまれてしまった方が多いとお聞きしました。
津波に破壊された街です。
まちの面影は全く残っていませんでした。
どんな街並みだったか、全く想像できないほどの被害を受けていました。

いまだに、がれきの下から亡くなった方が見つかるそうです。
海沿いを走る気仙沼線です。

この電車からの眺めはきっと素晴らしいものだったろうと思いました。
これは家の跡です。

土台以外は全て流されてしまっており、津波の激しさが伝わってきます。
災害時用のガソリンスタンドです。

看板まで津波で破壊されてしまいました。
この高さ以上に津波はきた様です。

橋に車がかかっていました。

復興に携わって下さっている、自衛隊の方々です。
子供のぬいぐるみ、でしょうか。このほか、愛読されていたであろう本、アルバム、家財道具などが、あちらこちらにありました。

その他、トイレの残骸(壊れた便器)や、割れた位牌など、生活感のある瓦礫がとても生々しく感じられ、今回の災害の被害を強く感じました。
本当に、生活の全てが流されてしまったんだと、胸が痛くなりました。
キングズガーデンというカレー屋さんです。
スリランカの方々で、カレーの炊き出しのボランティアをされていました。

少し余ったので、私も頂きましたが、とてもおいしかったです。
外国の方、も多くボランティアに入られており、被災者の方々にとても喜ばれておりました。

 

今回の災害で亡くなった方々のお葬式をとり行う為、海蔵寺を避難所として利用できなくなりました。そのため、ボランティア最終日に避難所の方々は、廃園になった保育園に移動されました。この様に、避難所を転々とされる場合もあるとのことです。

避難所は、床の上に布団を敷いて寝ている為、とても寒く、寝心地も良くないそうです。

想像もできないくらい辛い経験をされ、避難所での生活も大変なことが多くあると思います。それでも避難所の皆さんは笑顔が多く、とても優しくしてくださいました。

少しでも力になれればと思い、伺ったボランティアでしたが、私が力をもらった様な気がします。被災地の一日も早い復興を心よりお祈り致します。